社会人1年目でカルチャーセンターでフラメンコに出会い、約20年。
途中に子育て等のブランクをはさみましたが、何らかの形でフラメンコに関わっているのは10年ほどだと思います。
に続きまして、書いてみたいと思います!
- 大学卒業後、社会人1年目の秋頃、職場近くのカルチャーセンターにてフラメンコを始める。
- みるみるはまって2年目に群舞で発表会に初めて出演。
- 社会人3年目(=フラメンコ3年目)に、東京の先生にフラメンコを習いに行き始める。
- 第1子出産のためお休み。
- 2年お休みののち、フラメンコを再開。
- お教室のレストランイベントでソロを踊り始める。(といっても、決められた尺で決められた振り付け)
- 第2子ども出産のためお休み。
- 育児休職中に東京で生活していたため、伊藤シゲル先生の元でカンテを習い始める。この辺りから、どうやらフラメンコはギター、カンテ、バイレの三位一体であることに気付く。
- 育休から復職し、育児に追われるが、東京のクルシージョに通い始め、今も大切なお師匠様である河内さおり先生に出会う。
- この頃から、東京でのサークル活動を開始。東京の仲間とスタジオにて合わせをしたり、有志でライブを行う(中目黒 楽屋、池袋 カサ・デル・ガポ(今は閉店してしまったそうです)など)。
- 東京クルシージョは毎週土曜日だったので、平日は地元群馬にて宮田めぐみ先生に師事する。
- 群馬でもサークル活動を開始。主に踊りの練習を一緒にしたり、ギター・カンテさんを呼んでのセッションを行う。
- 恵比寿イベリアのクルシージョで、スペイン人の先生に師事し始める。
- 群馬県内のカフェなどで、地域振興の意味も含めライブ活動を開始。
- 憧れのタブラオでソロで踊り始める。
- 日本フラメンコ協会の新人公演に初参加。
群馬県での活動
東京クルシージョを中心に活動していたときは、東京の仲間とライブや練習会をしていたのですが、同じことを群馬でもできないかな?と思ったことが活動のきっかけです。
まずは単発でのライブを何回かしてみました。
所属していた宮田先生のスタジオをお借りしたり、
カフェでのライブ、同窓会や企業でのアトラクションでお声をかけていただいたり、
ショッピングモールでのライブなど、色々と出演してきたところです!
県内での色々なライブ
それぞれに思い出がありますねー
ライブをするのってすごくエネルギーがいるのですが、ちょっとなんだか疲れちゃう感じがしますね(-_-;)遠い目…
やるぞ!みたいな気合と勢いがないと、主宰も出演も難しい。
1度ライブに出て本気で踊ると2キロくらい減るんですよね!消耗。
でも、得られるものも大きいと思います。
高崎オアシス
ロブソンコーヒー
sokono cafe
coco.izumi
イオンモール高崎
Maebashi 45days
前橋市のイベントで、まちなかなど市内中心部をもりあげるということで45日間、様々なイベントが必ずどこかで行われているといった地域振興の取り組みがありました。
前橋市らしいなと思ったのですが、
それぞれの想いをもった団体がそれぞれに企画して活動をする。
そういった小さなエネルギーが散らばって、大きな流れになっていくような萌芽を感じました!
前橋にはいろいろなエネルギーがある人達がいるんだな、ということもわかったので、なかなかに貴重な体験をさせていただきました。
アーカイブはこちらから。
東京のタブラオで踊る
これはフラメンコをはじめたときの目標の1つだったのですが、
東京のタブラオでソロで踊る!というものがありました。
今まで出演したのは、
カサ・デ・エスペランサ、サラ・アンダルーサ、ガルロチ、アルハンブラ…かな?
タブラオライブはいつも緊張しますが、とてもよい機会をいただけてありがたいなと思います。
新人公演に参加!
フラメンコをはじめた当初はセビジャーナスを覚えるということから始まり、
その後、目標が少しずつ変化していきました。
次はソロで踊れるようになること
ソロでライブで踊れるようになること
フラメンコの三位一体を理解して、決められた振り付けではなくソロで踊ること
タブラオで踊ること…
そして最後に、人生で一度でいいので、新人公演に挑戦してみたい!という目標に至りました。
新人公演については、その1をこちらの記事で書かせていただいております!
結論から言うと、本当に出てよかったなーの一言に尽きます。
ここを目指して、本当にたくさんの人たちに支援をしていただいて、
自分がこういったことに取り組める環境があるのはとてもありがたいことだし、
支えてくださる人達の貴重さ・ありがたさを実感した経験でした。
大好きなお師匠さんと!!!
大好きなモイさん・パコさんと!!!