私のフラメンコ歴・その1

ホームページ再開しまして、また1からコツコツ作っております。
今日の記事は、私のフラメンコ歴についてご紹介したいと思います!

私のフラメンコの歩み

現在のフラメンコに至るざっくりとした歩みはこんなカンジです。

  • 大学卒業後、社会人1年目の秋頃、職場近くのカルチャーセンターにてフラメンコを始める。
  • みるみるはまって2年目に群舞で発表会に初めて出演。
  • 社会人3年目(=フラメンコ3年目)に、東京の先生にフラメンコを習いに行き始める。
  • 第1子出産のためお休み。
  • 2年お休みののち、フラメンコを再開。
  • お教室のレストランイベントでソロを踊り始める。(といっても、決められた尺で決められた振り付け)
  • 第2子ども出産のためお休み。
  • 育児休職中に東京で生活していたため、伊藤シゲル先生の元でカンテを習い始める。この辺りから、どうやらフラメンコはギター、カンテ、バイレの三位一体であることに気付く。
  • 育休から復職し、育児に追われるが、東京のクルシージョに通い始め、今も大切なお師匠様である河内さおり先生に出会う。
  • この頃から、東京でのサークル活動を開始。東京の仲間とスタジオにて合わせをしたり、有志でライブを行う(中目黒 楽屋、池袋 カサ・デル・ガポ(今は閉店してしまったそうです)など)。
  • 東京クルシージョは毎週土曜日だったので、平日は地元群馬にて宮田めぐみ先生に師事する。
  • 群馬でもサークル活動を開始。主に踊りの練習を一緒にしたり、ギター・カンテさんを呼んでのセッションを行う。
  • 恵比寿イベリアのクルシージョで、スペイン人の先生に師事し始める。
  • 群馬県内のカフェなどで、地域振興の意味も含めライブ活動を開始。
  • 憧れのタブラオでソロで踊り始める。
  • 日本フラメンコ協会の新人公演に初参加。

フラメンコをはじめたきっかけ

大学卒業後、社会人1年生になり、運動不足だなーと思ったのがフラメンコを始めたきっかけです!(安直)

高校生まで競泳選手だったので、社会人になりまた何か運動をした方がよいかと。
今までダンスはしたことがなかったのですが、フラメンコはスカートが長いので太い足が目立たずいいだろうということ、カルチャーセンターが職場の隣であったため仕事帰りに寄れるから継続できる、そんな理由でなんとなーく始めました。

そのころはまだ、フラメンコのバイレ(踊り手)が指揮者であり・パーカッションである!なんてことは全く知りもせず、決められた音に合わせて、決められた尺の振り付けを踊る、そういうものだと思っていました!

でも…なんでしょうね。

フラメンコって迫害されてきた人たちの中で、日々の喜びや人生の希望を見出すために創られた側面もあるからなのか、フラメンコのメロディーにすごく惹きつけられてしまったんですよね!
そして沼にはまり今に至ります。

なんとなーく始めたことが、自分の人生をとても豊かにするとは想像がつきませんでした。
今の私の日々は、フラメンコとの出会いがなければ全く違ったものになっていたと思います。

東京のクルシージョに通い始める。

群馬でのカルチャーセンターフラメンコに飽き足らず、教則本を買って「自主練」をしていました(笑)

思いで深いのは鈴木眞澄先生の「フラメンコ入門」です!
これ、CDが付いていて、鈴木先生の解説がちょこっとあるのですが、もー何回も繰り返し聞いていました。
また、フラメンコの曲種についての解説もあって、フラメンコって色々な曲があるんだなーということを学んだ本でもあります。

今のようにYoutubeなどはなかった時代ですので、DVDとかCDとか教則本が重要な情報ツールだったんですね。

そしてネットで検索して、初めて東京のクルシージョに通い始めます。
初めて門をたたいたのが友繁晶子先生でした。
この掲示板、よく拝見して色々な先生のアドバイスを参考にしていました。
今は全く更新されていない様ですが…

群馬から電車で2時間!
でも、全く苦も無く通いましたね。とにかく東京のフラメンコはカルチャーセンターのレッスンとは内容も全く違って本格的で、ハードでしたがとても充実していました。

…投稿ってやっぱり時間がかかりますね(-_-;)
続きはまた次回~